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フレデリック・ショパン生誕200年記念事業
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主催 成城ミュージックアカデミー |
後援 駐日ポーランド共和国大使館 |
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フレデリック・ショパン役
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ショパンの人生がわかる仰天!感動物語
日本のストリーテラー林田尚親が 「演出・構成・脚本」
そして「ショパン役」、「語り」と、その奇才ぶりを発揮
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林田尚親
プロフィール |
「ザ!世界仰天ニュース」「人生がかわる一分間の深イイ話」「ゴチになります」「報道ステーション」等のナレーター他、TV・ラジオCMナレーション多数。蜷川幸雄演出舞台「王女メディア」「春」「ペールギュント」等にも多数出演。インターネット・パフォーマー応援サイト「ふぁんふぁんふぁん」のメンバーによる演劇集団を主宰。上演作品は、演出・構成・出演「杜子春」「葉っぱのフレディ」「雨上がる」「お千代」「森の石松」等がある。 |
ショパンの人物像をあの「仰天ニュース」や「深イイ話」のストーリー風にわかりやすく面白く演出。
林田尚親だからこそできた軽いタッチでショパンの世界観を表現。
ジョルジュ・サンド役杜原温子とフランツ・リスト役大澤俊哉のコミカルでシリアスな演技と
ピアノ演奏のコラボレーションでショパンファンならずともショパンの世界に引き込みます。
ジョルジュ・サンド 「ショパンってどんな男?」・・中略・・・
フランツ・リスト 「ショパンは僕よりひとつ上の26歳。ネエさんの6歳下かな。
ネエさんは肉食系女子ですけど、あいつは全くの 草食系男子
。 病弱で食は細い。
趣味は花とファッションで僕の見たところ、花代と洋服代に月に100万円はかけてますね。
ファッションは上から下まで一流志向で、パリのブランドショップや有名カフェや花屋に、
自家用馬車で駆けつけ、颯爽と登場する、
ハイセンスなファッションリーダー。
ジョルジュ・サンド 「うん。うん。とってもステキ。」
フランツ・リスト 「音楽的にはオペラもオーケストラ作品もほとんど作らず、
ひたすらピアノ曲を作り続ける ピアノの詩人。
和声的には単純明解だけど、繊細な装飾音を繰広げる自由な旋律、様々な形式、半音階的和声法などによって、
ピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新時代を切り開いているロマン派・・」
(音楽専門用語が出てきて、興味なくなりさえぎるサンド)
ジョルジュ・サンド 「で、サロンでの私の印象について何か言ってた?」
稽古風景より |
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ジョルジュ・サンド 「私もショパンに会う前にピアノ曲について勉強しておくわ。ざっと教えて頂戴。」
フランツ・リスト 「了解。まずショパンのピアノ曲の中で最もショパンらしいのはポロネーズとマズルカ。どちらもポーランドの民族舞曲から発展したもの。」
ジョルジュ・サンド 「ポロネーズは、フランス語でポーランド風っていう意味だものね。なるほどね。」
フランツ・リスト 「ポロネーズ、マズルカ以外のピアノ曲には練習曲のエチュード、前奏曲のプレリュード、
夜想曲のノクターン、即興曲、変奏曲、ワルツ、スケルツォ、バラード、ソナタ、ロンドなど」
ジョルジュ・サンド 「ちょっと待って、全部覚えるわ。はい。(早口で一気に)ポロネーズ、マズルカ、エチュード、
プレリュード、ノクターン、即興曲、変奏曲、ワルツ、バラード、スケルツォ、ソナタ、ロンド。」
フランツ・リスト 「うわ。集中するとネエさんすごいですね。」
ショパン 「人が、不安で押しつぶされそうになる時、ためらいながら一歩を踏み出す時、
そんな時・・僕は少しでも人の力になりたいんだ。」
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稽古風景より
ワルシャワ蜂起の時、ショパンは、演奏ツアーでポーランドを離れていたんです。
ツアーに同行していた親友が、蜂起のニュースを聞いて
「ロシア軍と戦う」といいだしました。
ショパンが、「僕も一緒に行く」と言ったら、
友人は「おまえは病弱だからここにいろ、おまえの分まで戦ってくる」といって、
一人でワルシャワに向かいました。
ショパンは、ポーランドの平和を祈りピアノに没頭しました。
そしてしばらくすると、蜂起は挫折したことを知らされました。多くの仲間が殺されました。
ワルシャワの街は破壊されました。そして、ポーランド人の「誇り」まで奪われたのです。
彼は絶望と怒りの中でこの曲をかきました。
(♪ 革命のエチュード Etude
op.10-12 )
「僕も祖国のために戦いたかった。」
心の中に溜まっていたものが、涙となって溢れ出てしまいました。 |
ショパンのピアノ曲が作られた背景を林田尚親の語りと演出で表現
ショパンの真髄に迫る
僕の不幸は、音楽ができなくなること。
君といるとメロディが雨のように降り注いでくるんだ。
フレデリック・フランソワ・ショパン
Frédéric François Chopin
1810年3月1日 〜1849年10月17日
ポーランド出身 |
ショパンの楽曲について
「ピアノ協奏曲第1番、第2番」と「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」など数曲のオーケストラ曲以外はほとんどピアノ独奏曲である。ひたすらピアノ曲を追求したピアノの詩人である。ピアノ曲の中で最もショパンらしいのはポロネーズとマズルカ。どちらもポーランドの民族舞曲から発展したもの。ポロネーズ、マズルカ以外のピアノ曲には練習曲のエチュード、前奏曲のプレリュード、夜想曲のノクターン、即興曲、変奏曲、ワルツ、スケルツォ、バラード、ソナタ、ロンドなど。日本でも人気が高いのは「英雄ポロネーズ」、12の練習曲Op.10の中の「第3番
ホ長調『別れの歌』、第12番 ハ短調『革命のエチュード』、ハ短調24の前奏曲の中の「第7番 イ長調」「雨だれ」、、舟歌
嬰ヘ長調、小犬のワルツ、ピアノソナタ第2番 変ロ短調『葬送行進曲付き』などである。 |
人間の嫉妬なのでしょうか?人間に具わっている「業」なのでしょうか?
ショパンとサンドの9年間の「恋」は、こんなことが原因で、
永遠の「愛」に変わることなく、終止符が打たれたのです。
稽古風景より |
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・・・中略・・・
「僕の心臓をワルシャワに持って帰ってほしい。」
(pdfはこちら)
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